原爆慰霊碑に名を刻む女性、がんで死去

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有名な原爆被爆者、池亀和子さんが8月16日、胃がんのため亡くなった。その数日前、過去数十年間の生涯の仕事、広島原爆犠牲者慰霊碑に捧げる毎年の手書き名簿の作成を終えた。享年82歳。

今年は、1945年8月6日に広島を襲った原爆投下の79周年にあたる。彼女が筆と墨で書き残した最後の名簿により、死者総数は344,306人となった。そのうち、池亀さんは長年にわたり、約10万人の名前を一つずつ書き残した。

元広島市職員で自身も被爆者である池亀さんは、広島平和記念公園で毎年行われる広島平和記念式典に名簿を手渡した。

1985年、彼女は死者名簿への記入を担当した。

がんと闘病中だった池亀さんは、式典前日の8月5日夜にリストを完成させ、今年で35回目となった。

池亀さんは自宅のベッドで横になりながら、8月6日の式典をテレビで見ていた。

8月15日、その功績に対して広島市から感謝状が届いた。

池亀さんは1月に胃を摘出するため入院。胆嚢の問題で6月上旬から7月中旬まで再び入院。

医師は余命1カ月と宣告した。

朝日新聞のインタビューで「これだけはやらなきゃいけないと思い、使命感と責任感を持って頑張ってきた」と語っている。

池亀さんはかつて、「名前は人の命の証でもある」とも語った。

息子の和俊さん(59)は「母は強がっていた。8月6日まではやらなきゃいけないと思っていたんだと思う」と語った。池亀さんの体力と気力は日を追うごとに明らかに衰えていたと中本さんは言う。

池亀さんと長年一緒に仕事をしてきた中本伸子さん(82)は「彼女は一生懸命働き、名前を書くことに誇りを持っていました」と話す。

中本さんが池亀さんと最後に話したのは、今年の名簿の作成に取り掛かった6月3日だった。

中本さんは、池亀さんが前回会った時よりも痩せていたことを思い出した。池亀さんに大丈夫かと尋ねると、「大丈夫です」と答えた。

来年、池亀さんの名前は名簿に登録され、8月6日の式典で慰霊碑に奉納される。

中本さんは「来年も名前を書くよう頼まれたら、池亀さんの名前を書きたい」と語った。

「『ありがとう』の気持ちを込めて、名前を書きます」と話す。

市原爆被害調査課長の上本真司さんは「これまでのご苦労に心から感謝するとともに、哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします」と語った。

厚生労働省によると、広島と長崎の原爆で被爆し「被爆者健康手帳」を持つ人は今年3月末時点で10万6825人で、前年より6824人減少。平均年齢は前年より0.57歳増の85.58歳。

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